ローマ教皇葬儀直後のローマ観光

フィレンツェ観光の後、ローマに移動して観光しました。残念ながらローマ教皇が亡くなった直後だったのでシスティーナ礼拝堂は観れませんでしたが、サン・ピエトロ大聖堂やコロッセオなど、世界遺産のスケールの大きさに圧倒された2日間でした。

バチカン市国付近で昼食にピザ

フィレンツェを8:30に出発してローマへ観光バスで向かいました。PummaRe’というお店でお昼ご飯にピザを食べました。

PummaRe'の窯
おしゃれな窯があります
PummaRe'のカプリチョーザ
キノコやハムの載ったカプリチョーザ

ホテル

ローマのTermini駅近くの「ベットーヤ ホテル マッシモ ダツェリオ」(以下ベットーヤホテル)に宿泊しました。若干ドアの立て付けが悪いかな、と気になることはありましたが、総じてホテルはきれいでしたし、駅も近いので非常に快適でした。ローマ初日に後述するコロッセオ、サンタンジェロ城、サン・ピエトロ大聖堂を外から見学しましたが、2日目の自由行動で再度巡りました。

ベットーヤ ホテル マッシモ ダツェリオ
ベットーヤ ホテル マッシモ ダツェリオ
ローマでの夕食のパン
Termini駅の地下にあるスーパーConadでパンやハムを買って食べました。美味しかった!

2日目の流れ

サン・ピエトロ大聖堂→サンタンジェロ城(外観)→スペイン広場→トレビの泉→ヴァチカン美術館→地元のスーパーでお土産探し→コロッセオ、という流れでした。

事前に決めていたのは開館と同時に7時からサン・ピエトロ大聖堂見学(予約なし)、ヴァチカン美術館10:30から見学(予約済)、コロッセオ16:30から見学(予約済)、の3点でした。サン・ピエトロ大聖堂やヴァチカン美術館の見学にどれくらいかかるか読めなかったので、当日それぞれの見学が終わったタイミングで空き時間の観光場所を決めました。

朝は6時過ぎにホテルを出て、6:17 Termini駅発の64番のバスに乗って6:43に
Cavalleggeri/S. Pietroというバス停で降りてサン・ピエトロ大聖堂の列(6:50くらいにはすでに100人くらい並んでいたように思います)まで10分ほどかけて到着しました。

なお、朝の地下鉄はスリなどが多く、ベテランのガイドさんですら乗りたくない、とおっしゃっていたのでバスを用いました。また、サンピエトロ寺院まではバスが便利で、地下鉄を用いると25分くらい歩くことになります。

移動のために、地下鉄・バス・トラムの共通24時間券「ROMA 24 HOUR TICKET」(2025.04.28時点では7€)を前日の夜にTermini(テルミニ)駅の地下鉄改札近くの自動券売機で購入しておきました。使用開始から24時間有効なので、事前に購入しておくことができます。

地下鉄の場合は自動改札に通すと時刻が印字され、バスの場合は下画像の黄色の刻印機に通すと印字される、と事前に調べていたので、切符の向きを確認しながら黄色の刻印機に通そうとしましたが全然取り込んでくれずに困っていたら、地元のおじさんが下の赤い機械に当てろ、と教えてくれたのでそちらに当てたら反応したので上手くいった気がしました。ただし、この方法だと乗車時刻が記載されないためペンで乗車日と乗車時刻を切符に記載しておきました。

ローマのバスの刻印機

サン・ピエトロ大聖堂

聖ペテロの墓所を祀る聖堂であり、カトリック教会の総本山です。ラファエロミケランジェロが建築に携わっています。クーポラ(ドーム)に上る場合は料金がかかりますが、今回は大聖堂のみ見学したので無料でした。

サンピエトロ寺院の列
朝6:50の時点で100人は超える列ができていました。写真の柱の奥にサン・ピエトロ大聖堂があります。
サンピエトロ寺院の列
私たちも列の最後尾に並びました。
7:20には手荷物検査も終了してサン・ピエトロ大聖堂へ
サン・ピエトロ大聖堂の正面
サン・ピエトロ大聖堂の正面です。ローマ教皇葬儀の2日後(25.04.28)。写真左側に政治家など、右側に聖職者が参列したようです。一部椅子が残っています。
サンピエトロ寺院
ローマ教皇葬儀翌日(25.04.27)の写真。
サンピエトロ寺院の報道陣
報道陣も多かったです。
サン・ピエトロ大聖堂の内部
サン・ピエトロ大聖堂の内部(正面から)
サン・ピエトロ大聖堂の内部(横から)
サン・ピエトロ大聖堂の内部(横から)
サン・ピエトロ大聖堂のピエタ
サン・ピエトロ大聖堂の内部にはミケランジェロが25歳で完成させたピエタ(死せるキリストを抱きかかえた聖母マリア)があります。
サン・ピエトロ大聖堂の内部の告解室
告解室(信者が神父に自分の罪を告白し、ゆるしを受ける場所)。ジョジョの『岸辺露伴は動かない』に出てくる懺悔室を思い出します。

サンタンジェロ城

590年にローマでペストが流行ったときに城の上に天使が現れ、その後まもなくペストが消えた、という伝説に由来してサンタンジェロ城(聖天使城)という名称になりました。

サン・ピエトロ大聖堂を出たのが8:10くらいで、バチカン美術館の予約の10時半まで時間があったので歩いて観光することにしました。サン・ピエトロ大聖堂の入り口から15分くらい歩くとサンタンジェロ城に着きました。

サンタンジェロ城
サンタンジェロ城

スペイン広場

サンタンジェロ城の外観を見てもまだ時間があったので、スペイン広場と、トレヴィの泉まで歩きました。サンタンジェロ城からスペイン広場までは25分ほどかかりました。

スペイン広場

スペイン広場に行く途中ではBNLイタリア国際(ATPマスターズ1000,WTA1000)の旗を見かけ、その写真を撮っていたので普通よりスペイン広場まで時間がかかっていると思います。日本だとATPマスターズ500の規模までしかないので、ATPマスターズ1000やグランドスラムが開催される場所がうらやましいです。

トレヴィの泉

スペイン広場からさらに10分ほど歩いてトレヴィの泉まで来ました。元は古代ローマの水道の終端点です。

トレヴィの泉

残念ながら、月曜日と金曜日の午前は泉に近づいたりコインを投げ入れたりすることができないそうです(貯水槽の清掃がある月曜日は午後2時から午後9時のみ許可)。そのことを知らずに月曜日の午前に訪れたため、泉の清掃中のようでした(残念)。

トレヴィの泉
トレヴィの泉営業時間

歩き疲れたのでマックで小休止しました。比較的安く食べられるマックはイタリアでもスペインでもお世話になりました。イタリアやスペインでは公共トイレが有料ですが、マックで注文した場合レシートにトイレのコードが記載されているのでそれを使えば追加料金がかからずトイレを利用できます。

ローマのマック

ゆっくりしていたらバチカン美術館の予約時間まであまり時間が無くなってしまったので、タクシー乗り場からタクシーに乗ってバチカン美術館に向かいました。

ローマのタクシーの中

ヴァチカン美術館

10:15 無事にヴァチカン美術館に到着。

ヴァチカン美術館入口
ヴァチカン美術館入口。予約時間になると比較的スムーズに入れた記憶があります。
荷物預かり所
荷物預かり所

大きなバッグの持ち込み禁止なので、ヴァチカン美術館に入ったらまずリュックを預けに行きました。肩や膝の露出する服装も禁止です。ガイドさんによると旅行者に必須のモバイルバッテリーも禁止らしいです。無料で荷物を預けられるのは助かります。

ヴァチカン美術館オーディオガイドの受付
ヴァチカン美術館オーディオガイドの受付
ヴァチカン美術館オーディオガイドと地図
ヴァチカン美術館オーディオガイドと地図

ヴァチカン美術館では日本語のオーディオガイドを7€(予約なし8€)で借りられます。オーディオガイドの地図を頼りに回りました。

ヴァチカン美術館のスロープ
まずはらせん状のスロープを上っていきます。
ヴァチカン美術館
スロープを上りきると外への出口が見えてきます。
ヴァチカン美術館中庭
ヴァチカン美術館中庭
建物内に戻ります。壁に多くの装飾がありました。

ヴァチカン美術館の中には多くの芸術作品がありますが、中でも石碑・彫刻と、絵画で興味を持ったものを少し紹介させてください。

石碑・彫刻

どこかで見たような石板。古代エジプト(紀元前1479-紀元前1458年頃)で女性として異例の地位に上りつめたハトシェプスト女王の、短くも波乱に満ちた共同統治の一場面を伝える遺物のようです。

アニメなどでよく聞いたことがあるアヌビスは、死者の国(ネクロポリス)の守護神・冥界の案内者として古代エジプトで信仰された神です。

ヴァチカン美術館通路
通路内も観光客でいっぱい
ラオコーン(ピオ・クレメンティーノ美術館)

ラオコーンはトロイの神官で、トロイ戦争の際にギリシャ軍が城門の前に残した木馬(トロイの木馬)が罠であるとして、市民に城内に入れないよう警告しました。これがギリシャ側を支援していたアテナやポセイドンら神々の怒りを買い、ラオコーンと2人の息子は、神々によって送り込まれた海蛇に襲われ命を落としました。

絵画

ヴァチカン美術館に行きたかった一番の理由はラファエロの「アテナイの学堂」を見たかったからです。中学の美術の授業で出会ったときにカッコいい絵だな、と感じて中央のプラトンやアリストテレスの模写を描いたことがあります。

アテナイの学堂のプラトンとアリストテレス
中央の2人は、プラトン(左)とアリストテレス(右)

プラトンは、レオナルド・ダ・ヴィンチがモデルとされており、右手の人差し指を天に向けて、イデア(理想的真理)の世界という思想の源が天にあることを示しています。一方、アリストテレスは手のひらを水平に広げ、感覚で捉えられるこの現実世界こそが真理の探求の出発点であることを示しています。

偉大な2人の対比、ということであればアリストテレスのモデルをミケランジェロとすればよい気がしますが、そうはなっておりません。これにはラファエロの気配りがあった、と山田五郎さんのYouTubeで紹介されています。アテナイの学堂を見に行かれる前にこの動画を見ると背景が分かってより楽しめると思います。

ゴッホのピエタ。ゴッホが宗教画を描くのは珍しいのでイーたりーきます。

ローマのイータリー

14時前にはヴァチカン美術館を見終わって、16:30からコロッセオまで時間があったため、お土産を買いに電車で移動してイタリアのスーパーに寄りました。観光地とは少し離れるのでローマの人が暮らしている場所の雰囲気を感じながら散策できました。

コロッセオ

コロッセオでは市民の娯楽施設として西暦80年に完成し、人間や猛獣の死闘が繰り広げられた世界遺産です。

コロッセオ
コロッセオ
コロッセオ
コロッセオ
コロッセオ
コンスタンティヌスの凱旋門
コンスタンティヌスの凱旋門。「西の副帝であったコンスタンティヌスが、ミルウィウス橋の戦いで正帝マクセンティウスに勝利し、西ローマの唯一の皇帝となった事を記念し建てられた。フランスパリに建設されたカルーゼル凱旋門のモデルにもなっている。」(Wikipedia)

終わりに

サン・ピエトロ大聖堂、ヴァチカン美術館、コロッセオ、いずれも圧巻でした!

コロッセオのできた西暦80年は日本は弥生時代でまだ弥生土器を作るくらいだったことを思うと、イタリアの歴史は日本よりもずっと早く進んでおり、それだけ多くの芸術が生まれているのだと思います。

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