はじめに
前回、令和8年8月の千葉県豪雨を振り返りながら、「ハザードマップに色がついていない場所でも浸水することがある」という話を書きました。一方で東京はどうなのか気になったので調べてみました。豊洲・晴海・勝どきといった湾岸エリアは新築マンションの供給が集中し、駅前の商業施設もきれいで、住みたい街ランキングの常連です。一方で「埋立地」「海抜ゼロメートル地帯に近い」というイメージもつきまとっています。人気があることと、災害に強いことは、本来まったく別の話のはずです。
今回の範囲
23区すべてを均等に見るのは大変なので、今回は次の2グループに絞ります。
- 人気があるのにハザード面がどうなのか気になる湾岸エリア(江東区・中央区・港区の埋立地)
- 逆に安全と言われる根拠を確認したい山の手エリア(世田谷区・目黒区・杉並区・文京区などの台地部)
すでに荒川沿いの低地帯として広く知られている北区・荒川区などや、逆にこれといった論点のない区は、今回のテーマからは外しています。
東京で見るべきハザードは「洪水」だけじゃない
千葉の記事では主に河川の外水氾濫と内水氾濫を扱いましたが、東京、特に湾岸エリアを語るときは種類が増えます。整理すると次の6つです。
| ①洪水(外水氾濫) | 荒川・江戸川など河川の堤防が壊れて溢れる |
| ②内水氾濫 | 下水道の排水能力を超え、川に出られない雨水が地表に溢れる |
| ③高潮 | 台風の低気圧と強風で海面が持ち上がり、堤防を超えて浸水する |
| ④液状化 | 地震の揺れで砂地盤が液体状になり、沈下や傾斜、地中埋設物の浮上が起きる |
| ⑤地域危険度 | 東京都が町丁目単位で出す、建物倒壊・火災・総合の地震危険度ランク |
| ⑥長周期地震動 | 遠くの巨大地震でもゆっくり長く揺れ続ける、超高層建物特有の現象 |
これらはそれぞれ、国交省の重ねるハザードマップ、東京都の高潮浸水想定区域図、液状化予測図、地震に関する地域危険度測定調査という、別々の資料で公開されています。「洪水のハザードマップに色がついていないから安心」と思っていたら高潮や液状化はまったく別評価、ということが普通に起こるので注意が必要です。
23区の危険度を俯瞰する
細かい話に入る前に、23区全体のどこに注目しているのかを整理しておきます。下の図は、今回のテーマに沿って区を4つのグループに色分けした概念図です。実際の区の面積・形状を正確になぞったものではなく、位置関係を分かりやすくするための簡略図である点はご了承ください。
実際の詳細なハザードは、必ず国土地理院の重ねるハザードマップや各区の公式ハザードマップでご確認ください。
人気の湾岸エリアを検証する
豊洲・有明・東雲(江東区)、晴海・勝どき・月島(中央区)、海岸・芝浦・港南・台場(港区)。このあたりが、いわゆる”湾岸タワマンエリア”の中心です。共通しているのは、江戸期以降、特に高度成長期以降に埋め立てられた土地だということです。
| 2.9m 豊洲三丁目の海抜 | -2m 江東区で最も低い地点(大島駅付近) | 約10m 江東5区大規模水害の想定最大浸水深 | 250万人 江東5区で広域避難の想定対象人口 |
出典: 標高海抜ナビ、江東区「江東5区大規模水害ハザードマップ」
区内だけでこれだけ標高差があるということは、「江東区は低地だから危ない」と区単位でひとくくりにする時点で、もう粗すぎるということでもあります。ただ、湾岸の主要エリアはおおむね海抜1〜4m前後で推移しており、海面や河川の水位より低い土地であることに変わりはありません。
キティ台風の高潮実績(A.P.+3.15m)は、大島駅付近を大きく上回り、湾岸部(1〜4m)とほぼ同じ水準であり、湾岸埋立地が高潮に対して余裕のない高さにあることが分かります。
※A.P.(Arakawa Peil、荒川工事基準面)は荒川水系で使われる水位の基準で、地図の標高でおなじみのT.P.(東京湾平均海面)より約1.13m低い位置にあります。
高潮と「江東5区」の大規模水害計画
東京都は2018年(平成30年)3月、室戸台風級(910hPa)の台風が満潮時に東京湾を直撃した場合を想定した高潮浸水想定区域図を公表しました(2024年改訂)。対象は千代田・中央・港・新宿・文京・台東・墨田・江東・品川・目黒・大田・北・荒川・板橋・足立・葛飾・江戸川の17区で、湾岸の主要エリアはほぼすべてこの対象区域に含まれます。
さらに江東区は、墨田区・足立区・葛飾区・江戸川区とともに「江東5区大規模水害ハザードマップ」の対象です。荒川・江戸川が想定最大規模の雨(3日間で荒川632mm・江戸川491mm)で同時に氾濫した場合、江東5区のほぼ全域が浸水し、最大浸水深は約10m、浸水が引くまで2週間以上かかると想定されています。人口の9割にあたる約250万人を対岸ではなく県外などへ広域避難させる方針が示されていますが、具体的な受け入れ先は決まっておらず、一斉避難による大渋滞のリスクも指摘されています。
過去の実績
1949年のキティ台風は台風の通過が満潮と重なり、東京でA.P.+3.15mの高潮を記録。江東区や江戸川区などゼロメートル地帯のほぼ全域が浸水しました。1947年のカスリーン台風では利根川・荒川筋で堤防が決壊し、東部低地帯全体で死者1,077名・行方不明853名という被害が出ています。
出典: キティ台風(Wikipedia)
液状化は「湾岸=即アウト」ではない
2011年の東日本大震災では、江東区の新木場全域で液状化が確認され、道路の段差や陥没、湾岸線の通行止めが発生しました。お台場でも液状化の跡が見つかっています。一方で興味深いのは、豊洲・晴海・有明では「液状化のわずかな痕跡は確認されたが、大きな被害はなかった」と報告されている点です。
不動産コンサルタントの長嶋修氏はこの理由について、現在のタワマンは地盤改良と支持層まで届く杭基礎で建てられているため、「支持層より上の地盤が液状化しても、建物本体には直接の被害が出にくい構造」になっていると解説しています。つまり建物そのものが傾いたり倒れたりするリスクは、想像より抑えられている可能性が高いということです。
出典: 現代ビジネス「晴海、豊洲…今注目される東京湾岸地区」、江東区「東日本大震災の被害状況」
ただし安心なのは「建物本体」の話であって、道路・上下水道・マンホールなど土地に埋まっているインフラは液状化の影響を受けやすいままです。建物は無事でも、水道が復旧するまで生活できない、というケースは十分あり得ます。
| エリア | 標高目安 | 主な水害想定 | 3.11の液状化実績 |
|---|---|---|---|
| 豊洲・有明・東雲 (江東区) | 0〜3m | 高潮想定区域 江東5区・最大浸水深10m | 新木場で液状化確認/豊洲・有明は痕跡軽微 |
| 晴海・勝どき・月島 (中央区) | 1〜4m | 高潮想定区域 江東5区の対象区ではない | 晴海で痕跡軽微、大きな被害なし |
| 海岸・芝浦・港南・台場 (港区) | 1〜4m | 高潮想定区域 江東5区の対象区ではない | お台場で液状化痕跡確認 |
「浸水しなければ安全」で終わらない理由
ここまでの話をまとめると、湾岸タワマンは「浸水すれば命に関わる」という単純な図式ではなさそうです。杭基礎の建物本体は液状化にも一定の耐性があり、超高層階まで水が来ることは通常想定されていません。ただし、タワーマンションには階数が高いからこそ生じる、別の弱点があります。
2019年 台風19号・武蔵小杉の教訓
川崎市中原区の武蔵小杉では、多摩川の水位上昇にともなう内水氾濫や無堤部からの溢水で、タワーマンションの地下にあった電気設備が浸水。停電・断水が発生し、エレベーターや給排水ポンプが止まって復旧に長い時間がかかりました。神奈川県の事例ですが、電気設備や機械式駐車場を地下や低層部にまとめる構造そのものは、東京湾岸の多くのタワマンにも共通します。
タワマンの給水は多くの場合、電動ポンプで各階に水を押し上げる方式です。つまり「断水していなくても、停電すれば実質的に水が出なくなる」という構造上の弱点があります。浸水想定区域の外にあっても、周辺で内水氾濫が起きて電気室が水を被れば、同じことが起こり得ます。
遠くの地震でも大きく長く揺れる
もうひとつ、超高層特有の現象が長周期地震動です。2011年の東日本大震災では、震源から400km近く離れた新宿の高層ビル群や湾岸のタワマンが、ゆっくりと大きく、10分以上揺れ続けました。「船に乗っているような揺れが続いた」という住民の声も伝えられています。構造躯体そのものの被害はほとんどなかった一方、エレベーターの緊急停止や家具の転倒は各所で発生しました。首都直下地震や南海トラフ巨大地震でも、同様の長周期地震動が懸念されています。
出典: プレジデントオンライン「高層階ほど長く大きく揺れる」
これは浸水ハザードとは別の軸のリスクで、標高やハザードマップの色とは関係なく、高層である以上は避けにくいものです。湾岸か山の手かに関わらず、都内の超高層物件を検討するなら織り込んでおきたいポイントです。
では、実際どこなら「安全」なのか
湾岸の対極として名前が挙がりやすいのが、世田谷区・目黒区・杉並区・練馬区・文京区などにまたがる武蔵野台地の上のエリアです。多摩川と荒川に挟まれたこの台地は、関東ローム層(火山灰土)に覆われ、標高はおおむね30〜45mあります。
| 30〜45m 武蔵野台地の標高帯 | 38.3m 上用賀六丁目(世田谷区)の標高 | 0m 江東5区想定・キティ台風いずれの浸水も届かない高さ |
出典: 標高海抜ナビ
この標高は、江東5区の想定最大浸水深(約10m)にも、キティ台風の高潮実績(A.P.+3.15m)にも届かない高さです。単純な「水が来る/来ない」でいえば、山の手台地は文字通り一段上にあります。都が公表する地震に関する地域危険度測定調査(第9回)でも、これらの台地エリアは総合危険度が低めに出る傾向があります。
ただし台地=一律安全でもない
同じ第9回調査では、総合危険度の高い地域が荒川・隅田川沿いの低地だけでなく、品川区南西部や大田区中央部、中野区、杉並区東部といった台地寄りのエリアにも点在すると報告されています。木造住宅が密集する地域では、標高が高くても建物倒壊や火災の危険度が上がるためです。水害に強いことと、地震・火災に強いことは、必ずしもイコールではありません。
「山の手だから安全」も過信は禁物
山の手台地にも弱点はあります。代表例が渋谷です。渋谷駅周辺は台地に刻まれた谷の底、いわば「すり鉢」の地形にあり、周囲から雨水が集まりやすい場所です。1999年の集中豪雨では地下街が浸水し、渋谷川・古川流域では1958年の狩野川台風、1982年の集中豪雨でも溢水による被害が記録されています。
この教訓を受けて2020年8月、渋谷駅東口地下には約4,000立方mの雨水を一時的にためられる大規模な貯留施設が整備されました。1時間に50mmを超える雨が降ったときに稼働する設計です。
出典: 広報東京都「渋谷をまもる雨水貯留施設」、東京都建設局「渋谷川・古川の浸水被害の状況」
つまり、世田谷区や渋谷区といった「山の手側」の区であっても、台地そのものと、台地を刻む川筋・谷底とでは条件がまったく違います。区の名前だけで判断せず、その場所が台地の上にあるのか、谷筋にあるのかまで見る必要がある、というのは千葉の記事で書いた「内水ハザードマップも合わせて確認する」という話と地続きです。
住まいを選ぶときに確認したい6つのポイント
- 洪水・内水・高潮を別々に確認する
ひとつのハザードマップで安全でも、ほかの2つで色がついていることがあります。3種類は別の資料です。 - 液状化予測図を見る
特に埋立地・旧河道・低地では、建物本体だけでなくライフラインへの影響も想定しておきます。 - 地域危険度測定調査で町丁目のランクを見る
建物倒壊・火災・総合危険度は、水害ハザードとは別軸の評価です。 - 土地の成り立ちを確認する
治水地形分類図や古地図で、「谷」「旧河道」「盛土」に当たらないかを調べます。台地の中の谷底は要注意です。 - マンションなら設備の配置を確認する
電気室・機械式駐車場・受水槽が地下や低層部に集中していないか。停電=断水のリスクに直結します。 - 過去の浸水・液状化の実績を確認する
自治体が公開している浸水実績図や地震被害記録は、想定図とあわせて必ずチェックします。
まとめ
湾岸タワマンは、ハザードマップ上の色だけを見れば高潮・洪水の想定区域に入っていることが多く、「気にしなくていい」場所ではありません。ただし、建物本体が浸水で即座に危険にさらされるリスクは杭基礎などの構造で一定程度抑えられており、むしろ現実的に効いてくるのは、停電にともなう断水やエレベーター停止、長周期地震動、そして江東5区の広域避難計画のように「避難先が決まっていない」といった、災害後に住み続けられるかどうかという別種のリスクです。
一方の山の手台地は、標高の面では確かに湾岸より一段有利ですが、木密地域の火災リスクや、渋谷のような谷底の内水リスクまで含めると、「山の手だから安心」と言い切れるほど単純でもありません。
結局、前回の千葉の記事と同じ結論に着地します。ハザードマップに色がついていない=安全の証明ではないし、色がついている=即NGでもない。「区」や「人気/不人気」ではなく、その土地固有の地形・地盤・建物の設備配置まで見て、初めて判断できるものだと思います。個人的には、山の手台地エリアで、個別に災害リスクを確認して住む場所を選ぶのが良いと思います。
※本記事は公的資料・報道をもとにした個人の整理であり、防災の専門的助言ではありません。実際の住まい選びの際は、各自治体が公開する最新のハザードマップ・重要事項説明を必ずご確認ください。




