『斜陽』に現れる太宰治の生涯

太宰治展示

『人間失格』『斜陽』『走れメロス』など数多くの作品が教科書に載っているため、太宰治の名前を一度は聞いたことがある方が多いのではないでしょうか?『斜陽』という作品に見る太宰治の生き方と、2020年末に三鷹に開設された太宰治展示室を紹介させていただきます。

太宰治の生涯

太宰治

太宰ミュージアム 、『斜陽』あとがきを参考に簡単に紹介します。

太宰治概要


1909年6月19日に青森県津軽屈指の大地主の家に六男として生まれる(本名: 津島修二)。父の源右衛門は貴族院議員衆議院議員を経験した津軽地方の名士であり金木の殿様と呼ばれた。旧姓弘前高等学校文科甲類に優秀な成績で入学しており、17歳の頃には友人と同人誌『蜃気楼』を発行するなど、小説家を志望するようになる。高校卒業後1930年(21歳)に東京帝国大学仏文学科に入学、小説家になるために井伏鱒二に弟子入りする。その後『晩年』(27歳)、『走れメロス』(31歳)、『斜陽』(37歳)、『人間失格』(39歳)などの数々の作品を生み出すが、太宰の人生は数々の自殺未遂、依存症、女性関係のもつれが伴った破壊的なものだった。

太宰治年表

自殺というキーワードが何回も出てきますね、信じられないです。

1929年(20歳)
自己の出身階級に悩んでカルモチン(睡眠薬)自殺未遂。太宰は芥川龍之介の作品を愛読していたが、芥川龍之介も1927年にカルモチンで自殺したと言われている。

1930年(21歳)
銀座のバーの女給田辺シメ子と鎌倉にてカルモチン自殺を図るが、シメ子のみ死亡し太宰は生き残る(自殺幇助罪に問われたが起訴猶予処分)。
芸者である小山初代と仮祝言を挙げ、翌年から東京品川区五反田の借家で新婚生活を始める。

1933年(24歳)
初めて太宰治の筆名で『列車』を発表。

1935年(26歳)
大学5年目になっても卒業できず仕送りが打ち切られることを恐れ、都新聞社の入社試験を受けるも不合格。3月に鎌倉で首つり自殺未遂。4月に腹膜炎の手術を受け、治療に用いた鎮痛剤パビナールの依存症になる。学費未納のため9月に大学から除籍。

1936年(27歳)
パビナール中毒治療のため、2月に入院。10月、井伏鱒二らの勧めで東京武蔵野病院に再び1か月入院中に妻の初代が不貞行為。翌年3月に初代と群馬県谷川温泉近くでカルモチン自殺未遂。その後離別。

1938年(29歳)
初代との離別後、原稿が売れず無為な生活を送っていたが、井伏鱒二の紹介で石原美知子と見合い、結婚。

1939年(30歳)
現在の東京三鷹市に引越し、その後亡くなるまで三鷹に住み続けた。三鷹は井伏鱒二の住んでいた杉並区とも比較的近い。

1941年(32歳)
文士徴用を受けたが肺浸潤で徴用免除。井伏鱒二は陸軍徴用員として入隊、シンガポールへ。

1945年(36歳)
東京への空襲で家が破損したため、夫人の実家である甲府の石原家に疎開。爆撃で石原家も全焼したため、津軽の生家に疎開。翌年約1年半の疎開から三鷹の自宅に戻る。

1947年(38歳)
当時太宰は、歌人・作家である太田静子、美容師である山崎富栄と愛人関係であり、太田との間に子供が生まれて太宰は認知している。この年、『斜陽』を刊行してベストセラーとなる。

1948年(39歳)
『人間失格』を執筆。この頃疲労が重なり、不眠症を患ってしばしば喀血。6月13日に愛人の山崎と玉川上水に入水自殺。(無理心中説など様々な憶測がある。)

『斜陽』が問いかける道徳感

道徳観の光と闇

第二次世界大戦終戦後に経済的に困窮していく没落貴族の家庭を舞台に、何があろうと変わらず人々の中に存在するエゴイズムを生々しく描きます。「人の役に立つことこそ正義」、「生きていることこそ美しい」、そういった感情が本当に正しいのか私たちに改めて問いかけているように思います。
他の太宰の作品でもそうですが、『斜陽』には太宰の人生観が投影されています。麻薬中毒で破滅していく「直治」は太宰の姿を映し出し、愛人という生き方を選んだ「かず子」のモデルとなったのは太宰の愛人であった太田静子です。
道徳に対して真っ向から立ち向かう「かず子」の生き方はきっと当時の人々の道徳観をひっくり返す衝撃だったのではないかと思います。貝原益軒の『女大学』を筆頭に、江戸時代から脈々と「女性は夫に仕えるべき」という価値観が人々に植え付けられてきました。現代においても女性の立場向上が叫ばれておりますが、終戦当時は今よりもさらに女性の立場は低い時代でした。例えば東大への女性入学は1946年が最初なので、太宰治の時代の東大に通っていたのは男子学生のみになります。当時の社会は当然のように男性によって支配されていたといえます。
「愛人」という生き方は現在の日本においても広く認められるものではありません。「かず子」や「直治」の生き方はするまい、と感じつつも『斜陽』の世界に引き込まれてしまいました。

太宰治展示室

亡くなるまでの10年近くの間太宰は三鷹に住んでいたため、三鷹には太宰ゆかりの地が多く存在します。そちらも改めて紹介したいですが、今回は昨年末に新たにオープンしたばかりの太宰治展示室を紹介したいと思います。(私はコロナウイルスによる緊急事態宣言での臨時休館前に訪れました。現在は再開しています。2021.06.13)

太宰治展示室パンフレット
太宰治展示室パンフレット
太宰治展示室書斎
書斎

「太宰治展示室 三鷹の此の小さい家」と題し、太宰治が最後に過ごした家が再現されています。廊下側には太宰が描いた絵が飾られています。太宰が借金に苦しんでいた記録や原稿を執筆した書斎など、作品を読むだけでは分からない太宰を感じることができる場所です。JR三鷹駅からつながったビルの中にあるので気軽に立ち寄れますね。

太宰治展示室フロアの自動販売機

展示室があるフロアの自動販売機のレトロな感じが好きです。

まとめ

太宰治の破滅的な生涯が『斜陽』という作品にも現れています。太宰治に興味を持った方はぜひ太宰治展示室にもお立ち寄りください。

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